
第26回 ベーシック
自分も30年近くWのナチュラルターンを踊って来ました。何十万回、やったと思いますが、いまだにナチュラルターンを練習する。上手くいかないこともしょっちゅうです。でも昔ほど誤差は少なくなり、本当に気持ちの良いナチュラルターンが出来たときは一日が大変ハッピーな気分になれるほど、ダンスのバロメーターでもあるのです。
バリエーションと言ってもほとんどがベーシックステップの組み合わせで構成されています。ベーシックをきちんと踏めばそうなるべくしてそうなる。デコボコした体の人間が組んだままバランスを保ちながら踊るということは、もの凄く複雑な体の使い方を要求されます。自分は“磨く”とか“練る”という言葉が好きです。うどんだってそばだって手打ちで練るからコシが出る。ダンスだってコシが出るまでしっかり“練る”必要がある。単純で根気のいることかも知れないけれど、コツコツやってみる。いつコシが出始めるかわからない。あと1回練ればコシが出るのにその前であきらめてしまってはすべてが水の泡になります。
以前、このコラムでも紹介したとおり、“イングリッシュスタイルのダンス”とはリード&フォローで踊ることであって互いの打ち合わせで踊ることではないのです。そういう意味で、今回のベーシックステップの導入はボールルームダンスの原点回帰であると言えます。自分もこの方向性は正しいと思います。全日本ベーシック選手権というのもあっていいのではないでしょうか?しかもメダルテストのステップを使ったりして・・・けっこう本気です!

6月12日・13日に日本武道館で行われた日本インターナショナルダンス選手権大会の模様。世界のトップ選手を招き、決勝のソロダンスでは規定ベーシックルーティンを踊る。

大阪インターナショナルダンス選手権大会優勝のビクター・ファン&アナスタシア・ムラヴィエヴァと。兄弟です(?!)
藤本明彦
(2010年7月1日更新)
藤本 明彦
リーダーの藤本は、大学のダンス部に入部後、桝岡栄子先生に師事。
学生チャンピオン、アマチュアチャンピオンを経てプロに転向、Aクラス昇級後、英国留学を重ね全日本グランドファイナリストとして活躍。
2001年のスーパージャパンカップを最後に競技選手を引退。
1961年生まれの天秤座のO型で、現代の日本人が忘れかけている「気合・根性・忍耐」の精神が大切であると常々思っている。
大の温泉好きで、これからは秘湯めぐりをしようかと密かに企んでいる。
佐藤 直美
パートナーの佐藤は栃木県出身で、実家がダンス教室でありながらダンス嫌いで、ミュージシャン志望だった。
しかし、亡き母の熱心な薦めで、東京は四ツ谷の「石原ダンスクラブ」にその頃在籍し次期チャンピオンと言われていた桑原明男先生に師事。
プロの踊りの奥深さとかっこ良さに触発され自分もプロになることを決意し上京。(まんまと母の思惑通りになる…)
直美という名前はダンサーネームで本名は玲子。プロになる時オーナーが「皆に好かれ、ダンサーとして大成するように」とつけてくれた。
その後タップダンスやジャズダンスなどでダンサーとしての体を作りながら地道に昇級し、Bクラス戦を前後期優勝しAクラスに昇級。
やはり英国留学を重ね全関東選手権、アレックス・ムーアカップでファイナル入り、スーパージャパンカップでセミファイナル入りと着々と実績を上げ2001年に競技選手を引退。
都内にダンススタジオをオープンするも、同じ頃藤本と公私共にカップルを組む事になり、平成16年4月に神奈川県横浜市に「藤本ソシアルダンススタジオYOKOHAMA」を新規オープン。
多くのダンスファンに親しまれ、今日に至っている。
現在は、経営指導の傍ら、JBDF東部総局公認審査員、デモンストレーターとして多忙な日々を送っている。そして、「なんば」をキーワードにダンス理論を解明することがライフワークのひとつとなっている。