第100回 ダンスを愛するすべての皆様へ
8年前に連載を始めましたこのコラムも今回で100回目、最終回となりました。
「藤本ダンス道場~身体意識の技術~」というタイトルではありながらダンス界を取り巻く様々な事柄についても問題提起という形で取り上げてまいりました。
第1回目から読み返しますと、この8年の間にダンス界も激動の波に揉まれてきたことが分かります。
僕がダンスに出会ったのは大学のダンス部に入部してからです。中学・高校とやっていた卓球を大学でも続けようと思って卓球部を見学に行きましたが、今ひとつ気持ちが乗らずキャンパスをうろうろしていたところ、社交ダンスの説明会に来ませんか?と声を掛けられてしまいました。それはそれは綺麗な女性で、浪人明けの身としてはとてつもなく眩しかったのを覚えています。
言われるままに連れていかれ(腕を組まれたまま♡)「舞踏研究会」と書かれた部室に入りました。そこでは他の新入生も何人か説明を聞いていて、部員獲得に一生懸命になっている上級生の姿がありました。
話を聞くうちに学生チャンピオンになった先輩がいること、高校までにはないクラブなので、皆スタートラインが同じであるということに心引かれました。
自分は今まで何かをやり遂げたという達成感を味わったこともなく、具体的な目標も無いまま大学生活を送りたくはありませんでした。
自分の存在、自分の可能性を確かめる、ただそれだけのためにリングで戦った、映画「ロッキー」。当時、この主人公の生き方に大きな影響を受けていたので、自分も何か燃えるものを欲していました。
何でもよかったんです。ただチャラチャラしたクラブにだけは入部したくはありませんでした。
「舞踏研究会」。ここは本気で取り組める活動をしていると感じたので、まず練習会というものに参加することに決めました。先輩達の格好いいデモンストレーションが披露され、初めて生で社交ダンスを見ました。
何回か練習会に参加するうちに、腕立て・腹筋・背筋などのトレーニングが追加され、基本的に体を鍛えることが好きな自分にはとても楽しく思えるようになり、4年間頑張ってチャンピオンになるぞ!と決心しました。
一年生のうちに4勝し、これはますます自分に合っているスポーツだと確信に至り、2年になってからは生涯のダンスの師匠となる、故 桝岡栄子先生の指導を受けるようになりました。2年生になると先輩にダンス教室を紹介されるのです。
いよいよ4年の春全。準決勝敗退という失意を味わい、冬全にはタンゴの部で優勝。入部時の目標はクリアしたものの、アマチュアの競技会でもさらに上を目指したくなり、一般企業に就職したものの競技会に出続け、アマB級でありながらゴールドカップという外人ジャッジの全日本級コンペで優勝し、これをきっかけにプロに転向しました。
プロの競技会に出ることと、プロとして教えることとは全く別のことであり、自分が教師に向いているかは全くわからず不安でしたが、思い切ってサラリーマンを辞め、プロの道に飛び込んだのです。
当時は学生ダンス出身からプロになる者は現在ほど多くなく、退路を断って自分に覚悟を決めさせたことは昨日のことのように覚えています。お陰様で多くの生徒に恵まれ全日本ファイナリストというポジションで現役選手を終えることが出来ました。
選手を引退してから15年以上が経った今、ダンスを取り巻く環境は大変厳しくなってきました。
少子高齢化や習い事の多様化など、理由を上げればいくらでもありますが、ダンスを習う人口は、ある統計によると一昔前220万人でしたが、現在は150万人だそうです。
この失われた10年の間に我々ダンス人は何をやってきたのか?ダンスを普及させるために我々は何を為すべきか、という業界の課題にも自分は取り組み始めています。
今、踊ることがますます面白くなってきました。こうやってダンスを踊り、教え続けていることは学生時代からの青春がずうっと続いているようにも思えます。
連載はひとまずお休みしますが、不定期にコラムを執筆することもあろうかと思います。その節はまた皆様にお付き合いくださるようお願い申し上げます。
今まで本当にありがとうございました。
(2016年9月1日更新)